LWA / Life With Art(ルワー)
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【全国】岡本太郎のアート作品、どこで見られる?美術館からパブリックアートまでをご紹介。

ぷらいまり。

2022.11.15

展覧会を見て、「もっと岡本太郎の作品を見てみたい」「実物の大きなパブリックアート作品を見てみたい」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?

岡本太郎の作品は、様々な媒体で展開されていますが、全国には、彫刻作品から、陶板レリーフ、建造物、書にいたるまで、さまざまなスタイルの作品を見られる場所があります。パブリックアートだけでも、全国で70以上になるのだとか。

前回、【都内】で岡本太郎の作品が見られる場所をご紹介しましたが、この記事では、【全国】で岡本太郎の作品が見られる場所をピックアップしてご紹介します。

▍岡本太郎の作品を中心に展示する「美術館」

(1) 川崎市岡本太郎美術館

史上最大規模の「岡本太郎展」が全国を巡回中です。

 川崎市岡本太郎美術館
 川崎市岡本太郎美術館

岡本太郎のほとんどの作品を所蔵している美術館です。美術館のある川崎市は、岡本の母・かの子の故郷であり、自らの出生地でもある場所。《傷ましき腕》や《森の掟》、《重工業》といった著名な絵画作品もこちらに収蔵されています。

 川崎市岡本太郎美術館 展示風景
 川崎市岡本太郎美術館 展示風景

1点ものの作品をほとんど販売しなかった岡本太郎ですが、1991 年に主要作品352点を川崎市に寄贈したことから美術館の建設が決まり、1993年にはさらに1427点を追加寄贈。1999年に美術館が開館しました。

現代アーティストたちとのコラボレーションや、TARO賞の作家の展示を行う年4本程度の「企画展」と、岡本太郎の作品にフォーカスした「常設展」が開催されています。

なお、2022年9月1日から2023年1月31日まで、工事のため長期休館中です。

リンク:川崎市岡本太郎美術館

(2) 岡本太郎記念館

岡本太郎記念館 館内の様子
岡本太郎記念館 館内の様子

岡本太郎が1954年から亡くなる1996年までの42年間、住居兼アトリエとして使用してきた家を改築した記念館です。表参道の駅から徒歩で6分程度。東京・南青山にあります。ちなみに、建物を手がけたのは、岡本の友人であった建築家・坂倉準三。

2つの展示室を有し、岡本太郎の多岐に亘る活動の1つずつにフォーカスした展覧会や、現代アーティストの作品展示が開催されます。また、岡本が当時実際に使用していた道具や作品も展示。庭には、《河童像》や《母の塔》などのパブリックアートになった多くの彫刻作品たちが並び、こちらも必見。

岡本太郎記念館 庭園の様子
岡本太郎記念館 庭園の様子

一般的な美術館と比較すると決して広くはないものの、生前の岡本太郎のエネルギーを感じることができるような空間で、ぜひ一度訪れていただきたい場所です。

リンク:岡本太郎記念館

▍岡本太郎の代表的な「パブリックアート作品」

【東北】

▍《森の神話》《河神》《河童神像》(青森県|「奥入瀬渓流ホテル」内)

《森の神話》/ 岡本太郎
《森の神話》/ 岡本太郎

青森県十和田市にある「奥入瀬渓流ホテル」内には3つの岡本太郎作品が設置されています。

《森の神話》と《河神》は大きな暖炉の煙突として制作された作品。《森の神話》は、渓流と、鳥や人間、森の妖精が踊る姿がレリーフ状に表現され、《河神》は、奥入瀬渓流の水の流れに身を任せる人々の姿が立体的に表現されています。

《河神》/ 岡本太郎
《河神》/ 岡本太郎

さらに、敷地内の森の中には立体作品《河童神像》も設置。

「奥入瀬渓流ホテル」は現在は星野リゾートのホテルとなっていますが、もともとは渋沢栄一に仕えた実業家・杉本行雄の興したホテル。東北を旅していた岡本太郎と出会った杉本が岡本の芸術理念に共感し、一方、岡本も杉本の理想を支持したことからホテルへの作品の提供が決まったそうです。

▍《縄文人》《炎》(岩手県|一関市藤沢文化センター(縄文ホール))

岩手県にある地域文化の創造・発信・交流の拠点施設「一関市藤沢文化センター」の前庭に設置されています。

藤沢町では、古代の縄文式野焼きを復元した「縄文の炎・藤沢野焼祭」が毎年開催されており、1990年に岡本太郎はこの野焼祭に参加しました。当初はこの1日のためのモニュメントとして《縄文人》を設置しましたが、住民たちの希望を受け、1991年に寄贈されました。縄文の感性を発信しつづける藤沢の街こそ、本作品の設置場所として理想的な場所と考えるようになったためなのだとか。

ホールの緞帳は、岡本太郎が野焼祭に参加し、その感動を表現した「炎」の原画を元に制作。さらに、ロビーには《光る彫刻》も設置されています。

▍《生誕》(山形県|寒河江市役所)

山形県の寒河江市役所には、岡本太郎の”光る彫刻”が設置されています。

こちらの市庁舎の設計は、建築家・黒川紀章。黒川が岡本太郎に制作を依頼し、建物中央の吹き抜けホールの天井に設置されました。彫刻作品であり、照明器具としての機能も備えた作品です。直線的な建築と対照的に、作品からは有機的な曲線の角があらゆる方向に伸び、建物にリズムを与えていますね。

なお、この作品は家庭で使えるサイズでも制作され、《光る彫刻》として一般向けにも販売されました。

【関東】

▍《明日の神話》(東京都|渋谷マークシティ連絡通路)

《明日の神話》/ 岡本太郎
《明日の神話》/ 岡本太郎

渋谷駅のJR線と京王線を結ぶ、「渋谷マークシティ」の連絡通路に設置された、高さ5.5M、幅30Mという、岡本太郎の作品の中でも最大スケールを誇る巨大壁画です。

メキシコ人実業家から建設中のホテルへの壁画を依頼され、1970年の大阪万博の《太陽の塔》の制作と並行して制作が進められた作品。しかし、1969年、作品の完成を目前にホテルの経営状況が悪化し、計画が頓挫。壁画は行方不明となっていました。

岡本太郎の没後、2003年にメキシコシティの資材置き場で発見され、修復された後、2006年に一般公開。2008年に現在の場所へ恒久設置されました。

「原爆」や「第五福竜丸」といった、日本にとっての重大な出来事をモチーフに、画面の中には、燃え上がる骸骨や不気味に広がるキノコ雲、燃えさかる人々などが描かれています。

※岡本太郎の都内の作品はこちらにも詳しくまとめています。

リンク:【東京都】岡本太郎のアート作品、どこで見られる?美術館からパブリックアートまでをご紹介。

▍《母の塔》 (神奈川県|川崎市岡本太郎美術館)

《母の塔》/ 岡本太郎
《母の塔》/ 岡本太郎

岡本太郎の作品の多くを所蔵する「川崎市岡本太郎美術館」に設置された、高さ30mのシンボルタワーです。

8本の足で大地に根を下ろし、塔の中腹と頂上では複数の人々が舞っています。もともとは、1971年にナイジェリアの独立記念のために創られたモニュメントが原型ですが、川崎市に美術館の建設が決まった際、モニュメンタルな彫刻を置きたいと依頼され、岡本自身が選び、命名しました。

「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」と「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」、「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をイメージして制作されました。

なお、この塔の視線の先には、岡本太郎の母・かの子の文学碑《誇り》があります。

▍《太陽の鐘》(群馬県|広瀬川河畔緑地)

《太陽の鐘》/ 岡本太郎
《太陽の鐘》/ 岡本太郎

群馬県前橋市の広瀬川の河畔に設置された、直径約1.2m、高さ約2.4m、鐘を吊るす台が一体となった作品です。

もともと、1996年に日本通運株式会社が静岡県に保有していたレジャー施設「日通伊豆富士見ランド」に設置されていたものの、同施設が1999年に閉鎖となり、見ることの出来なかった”幻の作品”。

2018年に前橋市が寄贈を受け、民間団体「太陽の会」と作品を設置するための整備を開始。建築家・藤本壮介によるデザインに基づき、植物に囲まれた約1.55m隆起した丘の上に設置されました。

《太陽の鐘》/ 岡本太郎

▍《平和を呼ぶ》(千葉県|ふなばしアンデルセン公園)

千葉県船橋市が1986年に恒久平和を願い「平和都市宣言」をした際、そのシンボルとして設置されました。

両手を広げたポーズをしていて、その顔は、正面から見ると微笑む女性、裏面から見ると沈黙する男性の顔になっているそうです。男性の影で子どもや生活を守り、耐え抜くことで命を守り抜いてきた女性への岡本太郎の敬意が表現されています。

▍《未来を視る》(茨城県|万博公園駅)

1985年に筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会「科学万博・つくば'85」が開催され、その会場に設置されていた彫刻です。未来をみつめる3つの顔で構成されています。

博覧会終了後も会場跡地に展示されていましたが、現在は万博公園駅の駅前広場に設置。2005年のつくばエクスプレス開業を機に、沿線地域の発展を祈念して移設されました。

▍《夢の樹》(栃木県|新鹿沼駅)

1983年に、栃木県の鹿沼市民文化センターの新設をきっかけに制作された、高さ4mのアルミニウム製の彫刻作品です。躍動感のある形状は、「宇宙に向かって樹が、人間が、そして生命力が開くこと」を表現しているのだそう。

2011年の岡本太郎生誕100周年を機に、「芸術は大衆のもの」という岡本の思想を踏まえ、より多くの人の目に触れる新鹿沼駅前に移設されました。(移設は2012年)

【中部】

▍《歓喜》(愛知県|天長山・久国寺)

愛知県名古屋市にある天長山・久国寺に設置されている梵鐘で、実際に寺院の梵鐘として現在も使用されている作品です。1965年、第二次世界大戦の金属回収例で供出されたままだった梵鐘に代わる鐘をと、当時の住職からの依頼で制作されました。

この鐘の1/4サイズの作品を岡本太郎が鳴らしながら「芸術は爆発だ」と叫ぶCMがマクセルのTVコマーシャルとして放映されたことでも広く知られています。

突起をもった個性的な形状のこの鐘には、当時、梵鐘専門の鋳物師も「音が出るかどうか、全く自信がありません」と言ったのだとか。ところが、出来上がった梵鐘は複数の角で音が反響・共鳴し合い、これまでの鐘にない見事な音色を発したといい、「打ち鳴らすと宇宙全体が叫ぶ。よろこび、悲しみ、苦痛、うめき声、それらが言いようのない振幅で響きわたる」と語った岡本の思想を見事に再現しています。

▍《若い太陽の塔》(愛知県|日本モンキーパーク)

愛知県犬山市にある「日本モンキーパーク」のシンボルタワー。高さ26メートルと、岡本太郎の作品の中では3番目に大きな作品です。

その顔は、「太陽の塔」の腹部にある顔と同型のもの。顔のまわりには11の炎が燃えさかっています。日本万国博覧会開催前年の1969年に万博熱の高まりを受けて、イベントの目玉として制作されたもの。もともとは塔ではなくオブジェだったものが、犬山の有志が資金を出し合い、展望台に昇ることもできる現在の形状になりました。

老朽化により2003年に一度閉鎖されましたが、岡本太郎生誕100周年記念の2011年にあわせ、改修の後に再び一般公開されました。

▍《未来を拓く》(岐阜県|岐阜メモリアルセンター)

岐阜県岐阜市にあるスポーツ施設等を有する公園で、1988年の「ぎふ中部未来博覧会」のメイン会場となった「岐阜メモリアルセンター」に設置されました。博覧会のシンボルとして制作されました。高さは16m。

ランナーが走る姿を抽象化した躍動感のある彫刻で、冠のような頭部はヒマワリをイメージ。長い首には、《若い太陽の塔》と同じ「青春」を象徴する色彩である黄、青、赤、緑の旗がのモチーフが組み合わされています。

▍《月の顔》(福井県|越前陶芸村)

福井県の「越前陶芸公園」にて、多くの陶彫作品を設置する陶彫広場に設置されています。

岡本太郎と交流があった勅使河原宏・草月流3代家元が、越前陶芸村に窯を持っていたことをきっかけに、岡本は何度かこの地で陶芸を行っており、福井県宮崎村村制100年の記念として寄贈されました。

見る角度によって表情が大きく異なる作品で、白い大きな月の顔が天空の月と相対し、2つの顔が呼応しているようです。

【近畿】

▍《太陽の塔》(大阪府|万博記念公園)

《太陽の塔》/ 岡本太郎
《太陽の塔》/ 岡本太郎

言わずと知れた、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルゾーンに、テーマ館のひとつとして制作された作品。塔の頂部で金色に輝く 未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。また、当時は、地下の展示空間に第4の顔「地底の太陽」が設置されていました。

もともと、丹下健三による「大屋根」の構想が完成していたところで、その下に設置するテーマ館を担当していた岡本が、穴の空いた大屋根から顔を出す太陽の塔を設計。結果的に、大屋根に直径54Mの大穴をあけ、その中央から顔を覗かせるように設置されました。

《太陽の塔》/ 岡本太郎
《太陽の塔》/ 岡本太郎

万博のテーマである「人類の進歩と調和」に反発していた岡本にとって、この作品も「対極主義」を表す作品のひとつといえるでしょう。

太陽の塔の内部には、原生生物から人類に至るまでの生命の進化の過程を表現した「生命の樹」(高さ約41メートル)があったものの、博覧会以降は非公開となっていました。しかし、復元・再生し、2018年3月から予約制で一般公開されています。

▍《ダンス》(大阪府|高島屋大阪店)

大阪の髙島屋に設置された、縦2.35M, 横3.49Mの、巨大なモザイクタイル画です。使用されているタイルは、なんと5万7,400枚にも昇るのだとか。

もともと、髙島屋大阪店の開業時から20年間近くその大食堂に飾られていたものの、その後、約40年にわたってひっそりと保管されていた作品。岡本太郎の生誕100周年かつ髙島屋の創業180周年にあたる2011年に修復・復活プロジェクトが行われ、髙島屋の新店舗のレストランロビーで公開されました。

人間と動物がダンスするように戯れているように見えつつも、動物は牙をむき、対立も想起させる作品です。

▍《であい》(三重県|三重県営サンアリーナ)

三重県伊勢市にある多目的アリーナ「三重県営サンアリーナ」に設置されています。1994年の三重県世界祝祭博覧会にあわせて制作されたモニュメント。高さ4Mの金色の彫刻は「男」、高さ3.5Mの銀色の彫刻が「女」を表しているそうです。

1969年に岡本太郎がデザインした金色と銀色の卓上ライター《火の接吻》がもととなっており、ライターが火灯すのに変わり、こちらの作品は噴水として水を噴き出す作品となっていました。ただし、現在は設置場所がかわり、噴水の機能は失われています。

▍《言葉のいのちは愛である》(兵庫県|書写山)

《言葉のいのちは愛である》/ 岡本太郎書
《言葉のいのちは愛である》/ 岡本太郎書

兵庫県姫路市にある「書写山」のロープウェイを登りきったすぐ先の広場に設置された作品で、岡本太郎の書をあしらった碑です。

姫路市出身の小説家・椎名鱗三をたたえる記念碑で、1980年、生前に親交があった岡本太郎氏に制作が依頼されたもの。岡本は、椎名鱗三が晩年に信条としていた「言葉のいのちは愛である」という言葉を選び、書を制作しました。

躍動感のある「言葉」「いのち」「愛」の文字は、まるで絵画のようで、岡本太郎の作風が現れた書となっています。

【中国・四国】

▍《足あと広場》(広島県|松永はきもの資料館(あしあとスクエア))

広島県にある松永はきもの資料館(あしあとスクエア)は、なんとその中庭そのものが岡本太郎の1つの大きな作品になっているんです。

岡本の油彩画《記念撮影》をもとにデザインしたもので、男と女の足跡をかたどった造形でとなっています。男の足のかかとと土踏まずは植え込みに、親指の部分には顔の形を模した椅子と2つの丸いテーブルが配置され、庭園としての機能も備えた作品です。

▍《躍進》(岡山県|SKイノベイティブ・メディアセンター)

《躍進》/ 岡本太郎
《躍進》/ 岡本太郎

岡山県岡山市にある「SKイノベイティブ・メディアセンター」の壁面に設置された、縦3.85M、横8.2Mの陶板のレリーフ作品です。信楽焼の陶片約650個を組み合わせて制作されました。

もともと、山陽新幹線の新大阪―岡山間の開業を記念して制作を依頼されたもので、1972年に岡山駅の新幹線コンコースに設置され、その後、岡山駅の商業施設内に展示されていました。

設置から50年近くが経ち、傷みがみられるようになったことから、2020年に修復を行い、岡山カルチャーゾーンの新たなシンボルとなる現在の場所に移設されています。

▍《神話》(島根県|松江総合運動公園)

島根県にある「松江総合運動公園」に、1982年に開催された「くにびき国体」を記念して設置されました。出雲神話に登場するスサノオノミコトと八岐大蛇の姿をモチーフに制作されたもの。

また、本モニュメントの周囲は、顔をモチーフにした複数のオブジェが囲んでいます。

▍《いのち躍る》(徳島県|大塚製薬徳島工場)

徳島県にある大塚製薬徳島研究所にある施設の壁面に設置された作品です。《いのち躍る》というタイトルを命名したのは、生前に岡本と親交のあった小説家・瀬戸内寂聴。

1983年に研究所の中核となるセンターの完成にあわせ、岡本太郎に原画の制作を依頼し、岡本の制作した油彩画を陶板で再現しました。陶板を制作したのは、大塚国際美術館の陶板画作品を手がけていることなどで知られる大塚グループ企業のひとつ「大塚オーミ陶業」。その信楽工場で焼き上げた陶板を、縦21M、幅10Mの巨大壁画に仕上げています。

【九州】

▍《緑の太陽》(大分県|サンドラッグビル)

大分県のJR別府駅西口から徒歩1分ほどの場所にある「サンドラッグビル」の壁面に設置された陶板壁画です。岡本の手がけた「壁画」の中でも、風雨を受ける場所に設置された最初の作品。

本ビルの建設時に、オーナーが「別府駅から見える場所に何かインパクトのあるものを」と依頼して制作されました。《太陽の塔》の制作で多忙な時期でありながら、別府は岡本の両親が繰り返し訪れていた土地であり、「両親の思い出の場所に作品を飾ることができて嬉しい」と依頼を快諾したのだとか。

《太陽の塔》とおなじように顔を持つ太陽と、それに対峙する人間の姿が表現されています。赤と緑の補色で制作された太陽は、強いインパクトを放っていますね。

▍《花炎》(佐賀県|歴史と文化の森公園)

佐賀県の有田、西有田の歴史と文化のシンボルとしてつくられた「歴史と文化の森公園」に設置された作品。1996年に佐賀県で開催された「世界・炎の博覧会」のシンボルとして制作されました。

女性の身体をモチーフに制作されたもの。本作品は、1996年に没した岡本太郎が手がけた最後のモニュメント作品となりました。

まとめ

岡本太郎の作品の多くを所有する美術館と、全国に70以上存在するという岡本太郎のパブリックアート。回顧展のような大きな企画展でなくとも、岡本太郎の作品は、常設の美術館でまとまった形で見られたり、パブリックアートでいつでも見ることができるのが魅力です。

一方、パブリックアートは、保存する環境の変化などから突然見られなくなる場合も。見られるうちに多くの作品に触れたいですね。

ぷらいまり。 ライター / ぷらいまり。

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